11月10日、以前、現代美術館の学芸員さんに案内してもらった深川美術散歩のコースを自転車で写真を撮りに行きました。関東大震災(大正12年9月1日)後に建設された建築と記念塔です。 |
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亀久橋
仙台堀川にかかるワーレントラス形式の橋
昭和4年12月架橋
親柱には透かし彫りが施され、ステンドグラスのような
色ガラスを使用しており、特徴的です。 |
蔵魄塔(ぞうはくとう) 関東大震災死者慰霊塔
作者は日名子実三(ひなこじつぞう)女性像だったので、反対する人もいた。日名子実三は日本サッカー協会のエンブレムをデザインしたことでも有名。 |
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時々見かけた秋まで咲いている朝顔は宿根草の琉球朝顔、オーシャンブルーだった。 |
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上3点は旧東京市営清澄庭園店舗向住宅 後ろは清澄庭園。
昭和3年建築。鉄筋コンクリート2階建て(1階を店舗、2階を住宅にする構造) |
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清澄庭園に接するこの地には、元々百軒ほどの長屋が建っていたと言われている。清澄庭園は関東大震災により、大きく壊れ、建物も消失したので、翌年(大正13年)6月、所有者である岩崎家から東京市に寄贈された。
そして、昭和初め、深川では同潤会のアパートが清砂通、白河とか多数建てられました。 |
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清洲寮
昭和8年施工 鉄筋コンクリート4階
現在も共同住宅として使用されています。 |
三野村合名会社社屋
昭和2年 施工。幕末から明治初期にかけて、三井の危機を救い、三井財閥の基礎を築いた。経営者・三野村利左衛門が大正13年に設立した会社。 |
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11月は東京アート月間で清澄白河地区もギャラリーが色々あるらしいので、ついでに覗こうと思い、地図を見ながら、ウロウロ。倉庫の6階とある。倉庫は見つかったが、しかし、入口分からず、ポスター無し、人もいない。
あきらめて、帰路へ。 |
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清澄排水機場 高潮や洪水から守っています。 |
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帰り道、仙台堀川の両岸の桜が紅葉していました。 春もきれいでしょうね。 |
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関東大震災の後、コンクリート製の地震に強い建物が研究された。88年経っても使われているのはすごいです。 |