12月20日、今年の納め山行というか忘年会登山で、大磯の高麗山へ行きました。といっても、低い山です。8人も集まりました。平塚駅で降りてバスで花水まで行く予定でしたが、タクシーで高来神社まで行ってしまいました。 |
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平塚駅から高麗山。 |
高来神社(高麗神社)鳥居 |
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高来神社。神宮皇后、僧行基、高句麗の王族若光、色々由来のある神社です。↑マウスオン |
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小さな小さな柿が実っています。↑マウスオン |
まだ紅葉が残っています。 |
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神社の横から、すぐ登山口に入ります。男坂、女坂と別れていましたが、皆、元気な人ばかりだから、男坂を行きます。 |
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階段を登りきると頂上です。 |
高麗山城の本丸跡? |
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室町幕府時、上杉持房が陣を構え、北条早雲が篭城したこともあるそうな。上杉謙信も本陣を置く。
167.3m ↑マウスオン |
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八表山(仏教用語の八表)
高麗山三峰のうちの一つ |
椿の木が多く、花も咲いていました。
今年は暖かい。 |
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浅間神社 ↑マウスオン |
一等三角点。181.2m |
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15分くらいで湘南平に着きました。広々していて、休憩します。 |
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展望台から富士山がよく見えました。 |
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左、丹沢山塊と右、大山。 |
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相模湾。江ノ島、三浦半島が見えましたが、写真では見えにくいです。 |
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大きなテレビ塔と高麗山 |
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大磯漁港 |
展望台 |
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藤棚に藤の莢が残っていました。 |
猫が水飲み台に上って水を飲んでいます。 |
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大磯駅に下りる道を探して、ウロウロ。皆様に迷惑かけちゃいました。 |
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曽我十郎が恋人の虎女に文を書いた時に使ったという硯水。 |
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結局、関東ふれあいの道を行きます。 |
車道に出ました。 |
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善兵衛池。荒れた山田に善兵衛さんが用水池を作って、良田にした。その石碑。↑マウスオン |
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リサイクルの集積場。町会でしているとのこと。 |
汚水のマンホール。
海岸、かもめ、黒松、山茶花 |
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大磯駅前の観光案内所に寄り、資料を送ってもらったお礼をし、昼食は大磯漁港の「めしや」に行くことに・・・ |
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漁港では第三日曜日の大磯市が行われていて、色んな店が出て、賑やかです。
大磯町のゆるキャラ。「あおみ」と「いそべえ」 |
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大磯漁港、船が並んでいます。 |
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お魚定食や、生しらす丼など、それぞれ、おいしく頂き、お店をのぞいて、次に鴫立庵に向かいます。 |
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↑マウスオン 西行法師が次の和歌を詠んだのがこの辺りだということで、鴫立庵としたとのこと。
「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」 |
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鴫の井戸 |
沢沿いに巨木が・・・ ↑マウスオン |
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法虎堂 十郎の恋人虎御前の像を安置 ↑マウスオン |
円位堂 西行法師の像を安置 |
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俳諧道場(日本三大俳諧道場の一つ) ↑マウスオン |
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西行法師歌碑 |
佐々木信綱の歌碑 |
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経塚供養塔 |
鴫立沢標石
裏に「湘南」の文字があり、湘南の始まりとされています。 |
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五智如来像 釈迦、阿弥陀、大日、薬師、宝勝の各如来像が並んでいます。 |
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静かな大磯の町を散策しながら、次は旧島崎藤村邸へ。 |
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昭和17年8月から昭和18年22日に亡くなるまで住みました。 |
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大正末期から昭和初期に建てられた別荘目的の雰囲気がある。↑マウスオン |
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万両 |
ベニカナメモチの実 |
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そろそろ帰る時間で大磯駅に戻ります。駅前にエリザベス・サンダース・ホームの看板が目につきました。 |
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澤田美喜が第二次大戦後、駐留軍兵士と日本人女性との間に生まれ、親と一緒に暮らせなかった子どもたちを引き取り、教育をし、一人前の社会人として送り出すための施設として設立しました。↑マウスオン |
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高来神社手前にあるホルトノキ(堀文子保存)を見損なったし、こゆるぎの浜とか旧東海道の松並木、他色々あるようなので、又、来たい場所です。 |