| 仙台駅は大きく、人も大勢です。観光スポットを回り、乗り降り自由の「るーぷる仙台」というバスに乗ろうと思います。 |
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| 立派な仙台駅 |
「るーぷる仙台」 12:28 |
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| まず最初に、伊達政宗が眠る瑞鳳殿前で降ります。12:45〜13:40 |
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| 大きな杉の木と紫陽花の参道 |
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| 案内図 |
長い階段。伊達藩石高と同じ62段 |
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| 入口にボランティアガイドがいたので、案内していただくことにしました。 |
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| 涅槃門。豪華な門です。菊紋は伊達の紋。↑マウスオン |
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| ↑マウスオン 樹齢数百年の青森檜葉を用いた豪華な飾り彫刻が施されています。↑マウスオン |
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| 拝殿の扁額。紅の部分は珊瑚の粉末。字は真珠の粉。周りは金泥。 |
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| 唐門、奥に瑞鳳殿。 ↑マウスオン |
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| 屋根の四方には2尾づつ龍の頭が付いています。右は戦災で焼ける前の青銅製龍頭彫刻瓦。 |
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| 立派な銅製の線香立て。↑マウスオン |
扁額は孔雀石の粉末と文字は金泥。↑マウスオン |
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| 豪華な彫刻が施されていて、桃山方式の華麗な建築です。 |
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| 鳳凰も雀も龍も口は阿吽になっています。 |
宝篋印塔、殉死した家来達の墓。 |
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| 二代、三代の霊屋も訪ねます。 |
板碑。墓室の蓋石として発見されました。 |
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| 二代藩主伊達忠宗の霊屋、感仙殿 |
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| 三代藩主伊達綱宗の霊屋、善応殿 ↑マウスオン |
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| 又、「るーぷる仙台」に乗って、仙台城へ。 13:55〜14:50 |
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| 大震災では色々被害がありました。 |
本丸入口の石垣 |
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| ここでも、ボランティアガイドがいて、説明を聞きながら回ります。 |
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| お馴染みの伊達政宗公銅像。 ↑マウスオン |
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| 遣欧使節。↑マウスオンは政宗の行進 |
若い時と大人の政宗像 |
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| 仙台城からの眺め。仙台は大都市です。 |
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| 二の丸、三の丸には行けなかった。 |
土井晩翠像と歌碑。 |
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| 本丸跡 |
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| きらびやかな本丸です。 |
QRコードを読む込むとスマホで見えます。 |
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| すずめ踊り。慶長8年(1603)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から釆ていた石工たちが、即興で披露した踊りにはじまるといわれています。 |
昭忠碑は、1874年佐賀の乱以来、西南戦争、日清戦争などに従軍した陸軍第2師団所属の戦没者の慰霊顕彰碑として、昭忠会により仙台城本丸跡の地に建立され、1902年11月竣工した。頂上にあった金鳶像は震災で落下した。 |
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| 今度は大崎天満宮へ。平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。
その後、室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。 大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。15:20〜15:55 |
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| 二の鳥居 ↑マウスオン |
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| 大石段。創建当時からのものといわれています。手前は太鼓橋。↑マウスオン |
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| 旧四谷用水 ↑マウスオン |
大石段横の灯籠。 |
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| 三の鳥居 |
茅の輪をくぐります。 |
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| 長床(重文) ↑マウスオン |
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御社殿(国宝) ↑マウスオン
安土桃山時代の文化を今に伝える我国最古の建造物。
慶長九年より十二年にかけ、豊臣家召抱えの随一の巨匠を招き造営されました。 |
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| 長押上に鮮やかな胡粉極彩色の組物や彫刻が施されています。 |
石の間の格天井には五十三種の草花が描かれています。 |
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| 太元社 |
神馬舎 |
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| 仙台と言えば広瀬川。湾曲して流れているので、何度も渡りましたが、バスの中だったので、写真を撮れませんでした。大崎天満宮から近いので、行ってみました。 |
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| 牛越橋からの広瀬川。↑マウスオン |
鷹、鷲?が悠々と飛んでいました。 |
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| ちょっと早いけれど、仙台駅に戻ります。列車の時間まで30分もあると思ったのですが、大勢の人で、駅弁、おみやげを買うのに一苦労。なんとかゲットして、はやぶさ106号17:21発で帰京。 |