善光寺(2018年6月28日)

秋田駒、森吉山から帰っても、大人の休日倶楽部パスがまだ使えるので、一日休んで、長野に行くことに。松代の真田関連を訪ねようかと思ったのですが、雨模様。そこで、丁度、駅からハイキング「善光寺とお地蔵様をめぐる」があったので、善光寺にしました。長野駅観光案内所で次回の為に、松代の資料をいただく。「街あるき」のイベントにもあったので、パンフレットを貰って、出発。
   
まずは西光寺。かるかや上人と石童丸親子の物語が伝わる「絵解き」のお寺です。「絵解き」とは文字の読めない人の為に絵でもって説教・唱導(仏の道に導くため、教えを説くこと)を目的とする、宗教者による絵画を用いた文芸・芸能です。 口演者の当意即妙な語りが、聴衆を引き付ける絵解きの多くは、現在、寺社を中心 に伝えられてきました。
西光寺 刈萱上人と石童丸の像 ↑マウスオン
修行中の身で親と名乗れなかった。
大師堂(園通殿) 左から千里御前、刈萱上人、石童丸の墓
芭蕉句碑
「雪つるや 穂屋のすすきの刈残し」
六地蔵
六道、それぞれのお地蔵様
リンゴの花とリンゴのマンホール 丁目の標識
左右の道は以前、川でした。その中州に建てられたのが栽松院です。
栽松院 
中洲にあったので、「しまんりょう」と呼ばれた。
本堂
赤色の子育て地蔵 嶋の天神
            
参道は広い。両側に色んなお店があります。
長野オリンピックの聖火台。 ↑マウスオン 善光寺ゆかりの桂の並木
西方寺
1192年、法然上人が開創
紫雲石
いずれよりか現れた紫の石の上に善導大師の像が乗っていた
立体曼荼羅、チベット大仏
2012年、ダライ・ラマによって開眼。
立体曼荼羅由来の碑
敷石は1707年から7年かけて完成。7777枚といいならわされている。
     
仁王門手前左に大本願があります。善光寺創建642年から歴史を共にしてきた尼僧寺院。浄土宗。
本誓殿(本堂) 唐門
芭蕉句碑
「月影や 四門四宗も 只一つ」
家光の御台所、関白鷹司の二女孝子を供養する地蔵。
仁王門  1752年建立されたが、二度焼失。今のは1918年再建
仁王像も立派です。わらじを奉納するのは健脚を祈願したもの。
旧如来堂跡地蔵尊 釈迦堂
973年越後の浜で漁師が見つけた涅槃像を安置
花が池。善光寺七つ池の一つ 鏝絵 伊豆の長八という左官が始めた。
魔除け、商売繁盛などのご利益がある。
駒返り橋。
源頼朝が参詣時、馬の蹄が石橋の穴にはまり、
馬を返して徒歩で入った。
1722年造立の延命地蔵。
「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれる。
山門(三門)1750年建立。5羽の鳩が隠されている「善光寺」の額。重文
      
立派な山門です。登れるというので、入ってみました。料金500円
正面は参道 大勧進
?? 経蔵 重文
本堂。 ↑マウスオンは地上からの本堂。
    
本堂に入り、内陣で参拝、恐る恐る、お戒壇めぐりをしました。
外に出て境内を散策。
シナノキの花 オオカメノキの赤い実かな?
変った色の紫陽花 杏でしょうか?
梵鐘は1667年鋳造。鐘楼は1853年の再建。 千人塚。百姓一揆で亡くなった人の供養塔
徳川家大奥関係者の供養塔 戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦争
で亡くなった人を祀る仏式霊廟
ちょっとした紫陽花の庭 経蔵 1759年完成。
輪蔵
鉄眼黄檗版一切経が納められています。
輪廻塔
車輪状の石を回すと様々な苦悩を抜け出せる。
仏足石。 お釈迦様の足跡を石に刻んだもの。
石造宝篋印塔 1397年の古いもの。 大勧進
善光寺の寺務をつかさどる天台宗の寺
     
そろそろ、帰路につきますが、行きに通り過ぎて立ち寄れなかった所を訪ねます。
十念寺
建久年間の創建で源頼朝公を開基としています。
出世大仏
高さ5mの阿弥陀仏坐像
徳本上人名号碑 六地蔵
    
行きに迷って分からなかった所にも寄ります。
延命庵 目の病に御利益のある「経読み地蔵」
      
すっかり、お昼を過ぎてしまいました。「街あるき」のパンフレットにあるお蕎麦やで信州そばをいあtだきました。天ぷら3点がおまけです。和菓子屋でお土産に和菓子を買うと、一個おまけ。パンフレットのおかげです。
長野駅前の如是姫像 JR長野駅。全体が撮れなかった。
6.59Km  4:32(食事を含む)