三内丸山遺跡・是川(2019年6月25日)

今年の大人の休日倶楽部パスを使っての旅行は青森に特化しました。まずは三内丸山遺跡に行きます。東京駅9時発の臨時のはやぶさ45号で出発。
新青森駅9:17着。駅の構内にねぶたの山車灯籠が飾られていました。
宮本武蔵 不動明王と倶利伽羅龍
新青森駅、すぐ横は在来線 鏡みたいなオブジェ?
シャトルdeルートバスの「ねぶたん」があるのですが、10時のガイドに間に合うように、ちょっと張り込んで、タクシーに乗りました。
時遊館 今年の4月から有料になりました。 時遊館に入ったところ
ガイドの案内で、遺跡を見学します。写真は撮らないで、説明を聞くのを優先します。終わってから写真を撮りに回りました。縄文時代前期から中期、(紀元前3,900〜2,200年)の大規模な集落跡です。
三内丸山では幅10メートル以上の大型竪穴式住居跡がいくつも出土しています。↑マウスオン
その中でも最大なものは長さ32メートル、幅10メートルのもので、これが復元されています。
実際の住居跡 ↑マウスオン 出入口  ↑マウスオン
内部は掘り下げてあり、夏涼しい。
内部の炉 柱は焦がしてある。
横には、三内丸山と言えば、これ、六本柱の大型掘立柱建物があります。
柱穴の間隔、幅、深さがそれぞれ4.2メートル、2メートル、2メートルで全て統一されています。
これはその当時既に測量の技術が存在していたことを示すものであり、ここに住んでいた人々が
当時としては高度な技術を持っていたことを示すものであります。
大型掘立柱建物(六本柱建物)と大型竪穴式住居 ↑マウスオン
クリの木です。復元にはロシアのクリの木を使っています。
大型掘立柱建物跡 大きい。 クリの木が見えます。
竪穴建物は3種類。中期の建物を復元 茅葺き竪穴式住居
土葺き竪穴式住居 樹皮葺き竪穴式住居
南盛土 土やゴミ、大量の土器が捨てられ、丘のようになりました。ヒスイの玉などが見つかっています。、
掘立柱建物 高床式とみられます。
↑マウスオン  遺跡の中央部分にまとまって見つかりました。 ↑マウスオン
↑マウスオン  子どもの墓 土器に入れて埋葬されました。
北盛土 ↑マウスオン 沢山の土器が見つかっています。 ↑マウスオン
捨て場でしたが、湿地で水分が多く、木製品や漆器、動物や魚の骨などがありました。
大人の墓(土坑墓)地面に掘られた墓に埋葬。約500基が見つかっています。
広々しています。
ブタナ?コウリゾナ? コウリンタンポポ
時遊館に入り、さんまるミュージアムの展示を見ます。分かりやすく展示されています。函館から小学生の団体が見学していました。約1000年続いた三内丸山。陸奥湾が入り込んでいて、海の幸も多かったようです。大きな魚の骨が見つかっています。その頃は温暖な気候でもあったようです。
地下に下りると、縄文ビッグウォールが見事。
5,120個の土器にかけらが約6mの高さに散りばめてあります。
一般収蔵庫 高さ4mの棚に出土した土器などを収蔵してあります。
時遊館前 「ねぶたん」で新青森駅へ。
丁度お昼、駅で黒石焼きそばをいただきました。大人の休日倶楽部パスを提示すると50円引きでした。
短区間ですが、新青森駅13:52発のはやぶさ24号で八戸まで、八戸駅14:15着、八戸線に乗換えます。八戸駅14:25発、本八戸駅へ。14:33着
青い森鉄道の車両です。(八戸駅で) 本八戸駅
駅前のホテルに荷物の一部を預けて、バスで是川縄文館へ。是川遺跡や風張遺跡の優れた縄文遺跡を発信する施設です。
是川縄文館
入ったら真っ暗でびっくり。映像が動いているのですが、進む方向が分からない。何とか展示室へ。漆の製品が多かった。国宝の合掌土偶も東博から戻り、展示されていました。見終わると、少し遅かったのかミュージアムショップも閉められていました。
「触って確かめて」とレプリカがあります。 第一発見者で発掘に尽力した泉山兄弟
帰りのバスの時間まで、ビデオを見たりして過ごしていると、発掘からの帰りでしょうか、バケツを持った人たちがぞろぞろ帰って来ました。見物客は少なかったけれど、まだまだ発掘しているのですね。
    
明日はいよいよ種差海岸を歩きます。