新型コロナウイルスの影響で「駅からハイキング」が中止になり、それでは何処へ行こうかと考えて、豪徳寺や世田谷城址に決めました。資料は色々あって、どう行こうかちょっと迷います。世田谷線に乗るのは初めてなので、それも楽しみです。 |
 |
 |
先ずは豪徳寺駅からスタート |
緑の車両 |
 |
 |
世田谷区の花、さぎ草の排水溝 |
青の車両 |
|
|
早くに線路を渡り過ぎて、南に行く道が無く、遠回りして世田谷八幡宮に着きました。 源義家が戦勝を祝し、勧請した神社です。 |
 |
 |
高良神社 |
世田谷招魂社 |
 |
世田谷八幡宮 拝殿 ↑マウスオン |
 |
 |
面白い顔の狛犬です。 |
 |
 |
厳島神社 ↑マウスオン |
今度は赤い車両です。 |
 |
豪徳寺山門 ↑マウスオンは仏殿 |
|
豪徳寺は曹洞宗の禅寺で彦根藩井伊家の菩提寺であるが、豪徳寺という名前の由来も招福猫児の誕生秘話も、井伊家ゆかりのものという。 江戸の初期、彦根藩主井伊直孝が鷹狩りの帰りに付近を通りかかると、寺の飼い猫が手招きをする。不思議に思って門内に入ると突如雷鳴が・・・猫のおかげで直孝が門内に入り、住職の法話を聴いたのが縁で井伊家の菩提寺になりました。「豪徳」は直孝の院号から名付けられました。彦根城の、「ひこにゃん」もこの招き猫がモデルです。 |
 |
三重塔 ↑マウスオン |
 |
 |
招福猫児 |
招福殿 |
 |
招き猫が数知れず置いてあります。 ↑マウスオン |
 |
 |
山ほどあります。 |
こんな所にも置いてあります。 |
|
|
井伊家の墓所にも寄ってみます。 |
 |
 |
2代 井伊直孝墓 |
13代 井伊直弼墓 |
|
|
世田谷城は足利氏由来の吉良氏が治めた城です。戦国時代、北条氏と共に戦った?? |
 |
空堀 ↑マウスオン |
 |
 |
土塁もあるが、撮る位置がむつかしい。
↑マウスオン |
全体 |
 |
 |
烏山川緑道 長く続いている。 |
世田谷線上町駅で青の車両 |
 |
代官屋敷 表門 彦根藩世田谷領の代官大場家の屋敷 ↑マウスオン |
 |
 |
井戸 |
大山道 道標 ↑マウスオン |
 |
母屋 |
 |
 |
母屋内部 |
お雛様が飾ってありました。 |
|
|
敷地内に区立郷土資料館がありました。中には入りませんが、屋外にも色々置いてあります。 |
 |
 |
衛兵詰め所と火災報知器 |
楠の大木 |
 |
 |
庚申塔、狐の石像、地蔵菩薩立像 |
庚申塔、供養塔 |
|
|
世田谷城七代目吉良頼康は家臣の娘である常盤姫を寵愛し、身ごもる。ねたんだ他の側室が不義を働いたとうわさを立て、真に受けた頼康は常盤姫を討つように命じ、姫は追っ手に討たれた、又は自害したとも伝えられています。ウイキペディアに常盤姫が開基したとあった常在寺に、寄ってみました。 |
 |
なかなか綺麗なお寺でした。 ↑マウスオン |
 |
 |
見事な花です。 ↑マウスオン
ハーデンベルギアというようです。 |
普通の家の前に石像が色々? |
 |
常盤塚 |
|
世田谷吉良氏の家臣の中でも最も優れたといわれている大平氏の城である「奥沢城」がありました。その大平出羽守の娘が常盤姫だったのです。頼康の信頼を失って城から追い出された挙句に自殺してしまった時に、常盤は遺書を書いて大切に育てた白鷺の足元に付けて奥沢城へ放ちました。しかし、たまたま奥沢城付近で狩りをしていた頼康がその白鷺を打ち落とし、手紙を見て常盤の無実を知ってあわてて常盤のもとへ向かいましたがすでに常盤は息絶えていました。
白鷺が落ちた場所から一本の草が生え、鷺に似た可憐な花が咲いたのです。この話から世田谷区の花が鷺草になりました。 |
 |
 |
青空の下、白木蓮がきれい。 |
世田谷線下高井戸駅 |
 |
5.58Km 2:50 |
|
松陰神社に寄らないで、下高井戸から帰りました。今度は池尻大橋の東山貝塚から、松陰神社まで歩いてみようと思っています。 |